今日から始める『地図の雑学辞典』179.石川啄木の地図の歌

179.石川啄木の地図の歌

179-1石川啄木.jpg  
石川啄木(『石川啄木大全』講談社)

石川啄木(1886-1912)は、以下の二つのことで地図と測量に係わりがあります。
彼を流浪の詩人と呼ぶ人がいるように、地名の含まれた歌が多いのです。
手元にある石川啄木の全集から地名が入った歌を調べてみると、全部で36首あり、その内訳は札幌や函館・釧路など北海道の都市名が入った歌が一番多く18首、故郷岩手が9首、東京が7首、外国の地名が入った歌も2首あります。
今ひとつは、下記のようによく知られた「地図」を含んだ歌が多く詠まれています。

地図の上
朝鮮国にくろぐろと
墨をぬりつつ秋風を聴く

子を叱り過ぎた
きまり悪きさびしさよ
家のまはりの地図などを引く

今のうちに
忘れぬうちに
故郷の村の地図を書いて置かんと思い立ちたる

最初の歌は、朝鮮併合を批判したとして有名です。後段の歌は、死の前年の心身衰弱したころ、故郷渋民村を回想したとき詠んだのだといいます。残りの時間が少なくなったと感じたときに、生い立ちや故郷について書き物を残しておきたい、心にとどめておきたいと思うのはごく自然なのかもしれません。

書き残したいと思ったものを「地図」という言葉で代弁していることに、「地図好き人」は感じ入ります。さらに、「地図を引く」などという専門的な言葉も嬉しいのですが、「啄木の地図」どこにあるのかと探したくなります。
「唯一、地図らしきものが残されているのは、関心を持った41編の英詩と、それらから感動を受けて綴った詩を納めた大学ノート『エブアンドフロー』の中で、故郷渋民村生出から岩手山を望んだ風景だけです」という答えが返ってきました(岩手県玉山村・啄木記念館 山本学芸員)。啄木自筆の故郷の地図は、心の中だけであって、形としては残さなかったのかも知れません。

さらに、啄木の地図・測量との関わりは死後にも訪れます。
啄木の遺骨は東京浅草から、妻節子の手によって函館に移され、函館市住吉町の立待岬に「啄木石川一々族之墓」と「東海の小島の磯の白浜にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」と墨書した木標を建て、葬られました。ところが、その後の大正15(1926)年、親友であり義弟であった宮崎郁雨らの手で新しい墓碑建立が計画され、現在の石碑(「石川啄木1族の墓」)になりました。

建て替えられた岬にある墓は、樺太の「日露国境天測標石」をモデルにしたのです。
日本人測量技術者には初めての国境測量の結果となるその石の一方には日本の菊花紋章、他方にはロシアの双頭鷲紋章が浮き彫りされていて、将棋の駒のような形をしています。この標石が持つ二面性が、石川啄木の思想と通じるのだそうです。

179-2日露標石.jpg
「日露国境天測標石」レプリカ
(明治神宮外苑「絵画館」前)

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